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words.  『30』

words・music Hiroshi Tsukuda

arranged Gennai Hiraga

のぉ~、いんちょー  ねぇ、ワタさん

 

ボクたち あれから 30年 たった

外見(ミテクレ)も内面(ナカミ)も 少しクタビれたかい? でも

あの頃見た事が 今も活きていて

陰影や色彩を カタチ作るんだよ

通い道 帰り道 30日(マイニチ)

「どこ行っきょんな?」 「あそこいかんな」 と 寄り道

すぐ意気投合 仲間たち

 

のぉ~、いんちょー 「そうやのぉ」って 言ってるんでしょ

わかってんだよ

そうやって いつも近くで見ているんでしょ

あの頃と同じ笑顔で ニヤニヤと・・・

 

ボクたち あのとき 30人だった

 

3年の引き出しの タイムマシンは

逃げ場所ではなくて 大事な共通項さ

離れても 会えぬとも トモとトモ

みんな、「そうやのぉ」 永遠の宝物

何年先も 仲間たち

 

ねぇ、ワタさん ほら笑ったね 知ってるんだよ

今もどこかで

こうやって ちょっと集えば君もいるんだと

感じるんだ そう思えるんだ いつも

 

ヒトハヒトリ ヒトリデモ ヒトリジャイラレナイ

ヒトノテヒトノテ ヒトツナギニシテ

『エニシ』テミタラ 『エン』ニナル のは

偶然じゃない? 不思議なことじゃない

ステキなことだと思わないかい?

 

のぉ~、いんちょー 空から見れば ボクら おのおの

前を見てるかい?

ねぇ、ワタさん いつか聞かせて どこかの未来で

30人で集まろう

この歌を作るときに単にノスタルジックなものにならないように心掛けました。よく同窓会に参加しないという方々がその理由に挙げる中に、過去を懐かしむのは現実逃避だからとか、老い先が見えた年寄りのする事だなどという手厳しい意見を耳にする事があります。たしかにそうかも。過ぎた思い出はなぜか美しくて優しい・・・気がする。その過去の良き時代に身を委ねるのは現世の苦行からの逃避であり、強いては未来を無くした敗者の行為のような言われようだったりも・・・。その一方で、たまに古い友人と損得抜きの馬鹿話をすることにそこまで目くじらを立てなくてもとも思うのですが、みなさんはいかがでしょう。この歌もそんな同窓会に似た部分があるので、そういう意味では残念ですが、すべてのみなさんに楽しんでいただけないかも知れません。ただ僕は決して現実逃避のノスタルジー賛歌を描こうと思ったのではなくて、今の自分の意思確認を兼ねた力だめしのつもりでしたし、それが次の一歩の前の地均しになればとそう思ったわけです。

最近ふと思うのですが、今の自分のちょっとした判断や選択を大げさに能力と呼ぶとすれば、この能力を培ってくれたのは高校時代なのではないかと・・・。例えば、なにかモノを選ぶときカラーリングや機能美に目が向くのはあの頃、色彩学やデザイン学のはしっこを齧って興味を持ったからではないかと思うし、素描で立体を捉えるために陰影を辿ったプロセスは、同様に、何か事象を把握するとき、アウトラインだけではなく、秩序立てて理解するという視点を生んでいるように思えます。現在、美術に関わる延長線上にいなくても、何気ない日常の小さな決断のときにさえも、あの頃から始まったものが自分の中で活きていると実感します。もしもSFでよく言われるパラレルワールドがあって、そこで美術科に進学していない僕を探したら相当ダサくて無頓着な生活を疑いもなく過ごしている気がします。まぁ、この世界の僕も決してイケてるセンシンティヴな生活をしてるとは言えませんけどね。

卒業から[30年]も[たった]。入れ変えれば[たった][30年]。数字で見るとやはり永いが体感的には「早っ!」と思えたりもします。いろんな感情を重ねて過ごした30年、その中でもいんちょー、ワタベちゃん、二人の他界は最も大きな出来事でした。いんちょーのお通夜に集まった仲間全員が言い合わせる事無く最後の言葉に選んだのが「またのぉ~」でした。それぞれが永久の別れではなく、再会の約束の言葉で場を去った時に、いんちょーは決して消滅していないんだと確信しました。決して、霊を信じてたり、黄泉の国での再会を信じているという類の事ではなくて、ただ漠然とまた会えるという揺ぎ無い強い思いを感じたのは確かでした。以来、心のどこかで、あるときは「の~、いんちょー」と、ときには「ねぇ、ワタベちゃん」とそれぞれに呼び出しては、巻き込んで、意見させて、諭されたりもして・・・、事あらば、身勝手に引っ張り出して、相談相手に使ってきた気がします。なにも変わらずに近くにいるような気がしてるものですからね。ちょっと何人か集まった時にいつも人数分よりも多くにぎやかで楽しく思える瞬間があるのはそのせいです。トモはトモに今も活きています。ジェダイの言葉で言う”May the friend be with you."ですね。あれ!?ちょっと違ったっけか?

そして人生のトモは決して去るものばかりではないということもこの30年で気付きました。僕は広く多くの人達と仲良く出来るタイプの人間ではないことを自負していますが、そんな僕にも年を重ねるとともに少しづつ増える新しい出会い、新しい友、新しい家族もあるわけで、それらの出来事から、ますます自分が一人ではなく、誰かとともに生きている事を教わりました。なにか目には見えないものの途轍もないパワーに支えられて僕もだれかとともに、どこかでだれかのために生きている、大きなつながりの小さな、でも意外に大事な一部分だったりするんだろうなぁ。だったらいいなぁ・・・とかいろいろ・・・ご立派な事を並べてはみたものの、実態は今日も通勤電車で、もまれながら昨日と同じような日常を、なにかに流されるように過ごしてしまってるダメダメ社会人の一人なんですよねぇ・・・僕は・・・。

「のぉ~、いんちょー こんなんやけど、なんかゆーてもらえるやろか?」

 

 

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